「望潮」(村田喜代子)

「人の生き方の気高さ」が眼前に迫ってくる

「望潮」(村田喜代子)
(「日本文学100年の名作第9巻」)
 新潮文庫

喜寿の祝いと
忘年会を兼ねた集まりで、
古海先生はかつて訪れた
簑島の話を始める。そこでは
腰の曲がった老婆が多数、
「当たり屋」として車道を
徘徊しているのだという。
それを確かめようとして
「わたし」は
簑島観光をしてみたが…。

本作品は独特の構造を持っていて、
前半の語り手は
「わたし」=増川恭子であり、
入れ子構造的に古海先生の
十年前の蓑島訪問、つまり
当たり屋老婆の話が挿入されます。
その数ヶ月後の後半部は、
一転して語り手が「ぼく」=古海となり、
そこに恭子の報告が挿まれるのです。

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そんな老婆は一人もいなかった、
それどころかかつても
そんな話は存在しない。
恭子の報告は意外なものでした。
しかし古海先生の作り話でもなければ
記憶違いでもないことは、
後半部の「ぼく」(=古海)の
驚きによって示されています。
まるで「世にも奇妙な物語」的な
ホラーがかった作品です。

実は本作品の重要な部分は、
恭子の報告の最後の部分です。
彼女は二つのことを
恩師に伝えるのです。

一つは帰り間に出会った
一人の老婆についてです。
老婆は島での
女の生き方について語ります。
「簑島では、
 亭主を養えぬようでは
 一人前の海女でねえと
 言うたもんやね。
 亭主を食わせて子供も食わせて
 舅に姑も食わせてな、
 それでやっと簑島の
 一人前の海女ということよね」

貧しい島であり、
海女としての女性の収入が
経済を支えていたのでしょうか、
でもそこには悲壮感というよりも
「生きる上での誇り」が感じられます。
そして
「もう、おらんな。死んでしもた。
 わしが最後かな」

もう一つは
老婆と別れたあとに恭子が見た、
望潮(シオマネキ)の大群についてです。
「夥しい数のカニが、
 チカリ、チカリと海へ向いて
 ハサミを打ち振っていたんです。
 まるで海恋いの、
 潮恋いの儀式のようでした。
 わたしは胸が一杯になりました。
 ああ、彼女たちは
 ここにいるじゃないか、と…」

望潮(シオマネキ)とは、
海で誇り高く生きてきた海女たちを、
海へ潜れなくなっても海へ憧れ、
誇りを失わずに生きようとする
海女たちを、
暗示するものなのでしょう。
最後まで読み終えると、
ホラー的な要素は全く姿を消し、
「人の生き方の気高さ」が
鮮やかな実体と色彩を持って
眼前に迫ってくるようです。

前半後半それぞれで提示される
古海先生の句が
さらに深い味わいをもたらしています。
「忘れ潮も老婆も消えて暮れ遅し」
「望潮の千のハサミに波応ふる」

枯れた景色の見える
前半の句に対する、
後半の句の明るい生命感と
救いの存在の対比が
多くを語っています。

古海先生は喜寿77歳、
その教え子である「わたし」たちは47歳。
一方は人生のバトンゾーンに達し、
他方もまた折り返し地点を過ぎ、
ともに十分に生きてきた大人たちです。
その年齢でなければ
見えないものがあるのでしょう。
若い人たちはどう読み味わうのか。
興味のあるところです。

〔本書収録作品一覧〕
1994|塩山再訪 辻原登
1995|梅の蕾 吉村昭
1996|ラブ・レター 浅田次郎
1997|年賀状 林真理子
1997|望潮 村田喜代子
1997|初天神 津村節子
1997|さやさや 川上弘美
1998|ホーム・パーティー 新津きよみ
1999|セッちゃん 重松清
1999|アイロンのある風景 村上春樹
2000|田所さん 吉本ばなな
2000| 山本文緒
2001|一角獣 小池真理子
2001|清水夫妻 江國香織
2003|ピラニア 堀江敏幸
2003|散り花 乙川優三郎

(2022.6.2)

Kohei TanakaによるPixabayからの画像

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